非物理の工程を全部自動化しても、実験台のある分野は3〜4倍で止まる — Anthropicが科学の加速を試算し、上限の名前を「自動化されたラボ」と書いた
Anthropicの経済班が、科学研究でのClaudeの使われ方を20万7,049セッション分測り、加速の試算に進んだ。本紙が本題と見るのは倍率ではなく倍率が止まる場所である。非物理の手順を100%自動化した想定でも、研究時間の38〜41%が物理の手順である生物学・化学・材料科学・農学・生物医科学は3〜4倍にとどまり、統計学2.02倍→約15〜16倍、計算機科学1.96倍→約15〜16倍と桁の違いが開く。能力スコアは強化学習適性と+0.78、物理性と−0.57。データ収集は研究者の時間の28.6%を占めるのにClaudeでは11.5%、着想・仮説生成は調査で最重要と答えられた区分なのに4.2%である。15〜16倍という天井が能力ではなくAI1時間30ドルという単価の影であること、装置・材料費とシミュレーションが試算に入っていないこと、そして「AI進歩の予測が過小評価されてこなかった例外は主に物理世界での実行を要する領域」と発表者自身が書いたことまで含めて読む。
執筆・編集責任:日本フィジカルAI新聞 編集部
Anthropicの経済班が、科学研究におけるClaudeの使われ方を20万7,049セッション分測り、そこから 「AIは科学をどれだけ速くできるか」の試算に進んだ[1]。本紙が本題と見るのは加速の倍率ではなく、倍率が止まる場所である。非物理の工程を100%自動化したという想定でも、研究時間の約40%が物理の工程である 生物学・化学・材料科学・農学・生物医科学の加速は3〜4倍にとどまり、統計学や計算機科学の約15〜16倍と桁の違いが開く[1]。 発表本文はその理由を「自動化されたラボがなければ、物理の工程がボトルネックとして残る」と明示的に書いた[1]。 さらに同じ本文は、AI進歩の予測が過小評価されてこなかった——つまり楽観が当たらなかった——例外は 物理世界での実行を要する領域だと書いている[1]。上限の名前が本紙の持ち場である。
1. 何が測られ、どこで使われているのか#
20万7,049セッションを7,262タスクに割り当てた
対象は2026年8月2日から9月30日までの消費者向けプランのセッションのうち、科学の分野と研究タスクが割り当てられた 20万7,049件である。内訳はChatとCoworkが12万8,914件、Claude Codeが7万8,135件[1]。 分類はすべて言語モデルの分類器が行い、残されるのは「化学」「データクリーニング」といったラベルだけで、 研究データ・仮説・実験手法・未公表論文などの中身は保持しないとAnthropicは書いている[1]。
タスクの枠組みはSciNetという分類体系で、7,262タスク・34分野・318のサブ分野からなる[1]。 論文の執筆のように全分野に共通するタスクと、材料科学の「光吸収・発光スペクトルの予測」のように 分野固有のタスクの両方を含む[1]。本紙が注記しておくべき点が1つある。 この分類体系は参考文献でAlamos and Althoff(2026)とされており、Lukas Althoffは本報告の筆頭著者の1人である[1]。 測る物差しと測られる側が同じ研究室から出ている。
使われている工程と、使われていない工程
分野別では、Claudeのセッション数が多い上位3分野は計算機科学11.9%、工学8.4%、医学7.7%で、 いずれも研究者数自体が多い分野である[1]。研究者数との対数相関は0.79[1]。 ただし規模だけでは説明できない偏りがあり、計算機科学・数学・統計学といった形式科学は研究者数に比して使用が多く、 実験室で作業が進む化学などの物理科学と、診療に時間を割く医学は少ない[1]。 Claude Codeではこの偏りが極端になる。計算機科学は世界の研究者の4.3%にすぎないが、 Claude Codeのセッションの32.7%を占める[1]。
サブ分野ではAI・機械学習が研究者の1.2%でClaude 5.0%・Claude Code 15.2%と突出する[1]。 本紙の関心に直接触れるのはその次の記述である。発表本文はロボティクスも研究者数に比して使用が多いとし、 理由を「物理システムを対象としながら計算的手法に強く依存するため」と書いた[1]。 ただしロボティクスの具体的なセッション割合は本文に示されていない。 サブ分野の数値は本数が少ない領域ほど推定が粗くなるため個別の位置を読むべきでないと、脚注が自ら断っている[1]。
タスク別で見ると、使用は研究者の時間配分とはっきりずれる。
| 研究タスクの区分 | 研究者の時間に占める割合 | Claudeのセッションに占める割合 | Claude Codeのセッションに占める割合 |
|---|---|---|---|
| データ分析 | 27.6% | 33.7% | 48.1% |
| 執筆・コミュニケーション | 16.0% | 32.0% | — |
| データ収集 | 28.6% | 11.5% | 11.9% |
| 着想・仮説生成 | 7.1% | 4.2% | 2.1% |
数値はいずれも発表本文の記述による[1]。区分は全8つあるが、本文が数値を書いたのはこの4区分だけで、 残り(読解・知識獲得、理論分析、設計・開発、その他)は図にしか出ていない。だから本紙は埋めない。
ずれの向きが重要である。データ収集は研究者の時間の28.6%を占める最大級の工程なのに、Claudeでは11.5%しか使われていない[1]。 発表本文はこの落差が物理的な障壁を持つタスクで特に強いとし、臨床データや生化学データの採取を例に挙げる[1]。 一方で、資料・テキストの取得のように工程を電子化できるデータ収集では落差が小さく、 オンラインデータの収集のように完全に電子的なものは逆に過剰に使われることもある[1]。 同じ「データを集める」でも、手を動かす必要があるかどうかで使用率が分かれている。
着想・仮説生成はClaude 4.2%・Claude Code 2.1%で、研究者の時間7.1%を下回る[1]。 ところが併せて行われた研究者調査では、重要な研究成果を生むうえで最も重要な区分として 着想・仮説生成が1位、データ収集が2位に挙げられた[1]。最も重要だと答えた2つが、最も使われていない2つである。発表本文はこの理由として、分類が難しく過小計上されている可能性と、 AIが高次の着想——どの問いを追うか、それに答える研究をどう設計するか——を本当に苦手としている可能性の両方を挙げている[1]。
2. 能力スコアは何と相関したのか —— 物理は負の方向に効く#
Anthropicはタスクごとの「理論上のAI能力」を測るスコアを作った。SciNetが各タスクを手順の列に分解しているので、 分類器に手順の対を見せてどちらをAIがうまくできるかを答えさせ、 チェスのEloと同じBradley–Terryモデルで集計し、タスク単位に平均する[1]。 人間の評価ではなく、言語モデルの判定を積み上げた尺度であることを押さえておく必要がある。
そのスコアが何と相関したかが、この報告のいちばん堅い部分である。 強化学習への適性を表す指数との相関が0.78[1]。認知的な作業であることとの相関が0.69[1]。 そして物理的な作業であることとの相関は−0.57、対人的な作業は−0.31、 AI利用を制限する規制が関わることは−0.38である[1]。 発表本文は「物理的なタスクは、純粋に認知的な機械の手の届かないところにある」と書いている[1]。
実際の使用もこの尺度に従う。能力スコアが下位20%のタスク——反応混合物の精製や参与観察が例に挙がる——では Claudeはほとんど使われず、中位では研究時間どおり(比率約1)、 上位20%ではデータの可視化や統計検定の適用のように、研究時間から予測される量の約2倍(Claude)・約4倍(Claude Code)使われる[1]。 サブ分野単位でも、平均能力スコアが高いサブ分野ほど研究者1人あたりの使用が多い(相関0.45/Claude Codeで0.57)[1]。 さらに能力スコアが高いサブ分野ほど、AIに自律的に作業させる度合いも高い[1]。強化学習が回る工程から順に自動化が進み、 回らない工程が残る、という構図がそのまま数字に出ている。
3. 3つのシナリオ —— 実験台のある分野は3〜4倍で止まる#
加速の試算は3つの想定で行われている。シナリオ1は現在の能力が広く普及した場合、 シナリオ2と3は非物理の手順の75%/100%をAIが完全に自動化する仮想の未来で、 能力スコアの高い手順から順に自動化される。いずれのシナリオでも物理の手順は研究者が行い続ける[1]。 Anthropicはこれらを予測ではなく例示的なシナリオだと明記している[1]。
シナリオ1では、AIが担えるのは1本の研究に必要な研究者の時間の27〜52%(分野中位で38%)で、 加速は芸術1.35倍、人類学1.36倍、化学1.41倍から、計算機科学1.96倍、統計学2.02倍の範囲に収まる[1]。 発表本文は、現在のAI利用が自律ではなく補助・分担にとどまるため、最もAIに向いた分野でも約2倍で止まると書いている[1]。
| 分野 | シナリオ1(現能力の普及) | シナリオ2(非物理の75%を自動化) | シナリオ3(非物理の100%を自動化) |
|---|---|---|---|
| 統計学 | 2.02倍 | 約7倍 | 約15〜16倍 |
| 計算機科学 | 1.96倍 | 約8倍 | 約15〜16倍 |
| 図書館情報学 | — | 約7倍 | — |
| 経済学 | — | 約6倍 | 約15〜16倍 |
| 数学 | — | 4〜5倍 | 約15〜16倍 |
| 物理学・天文学 | — | 4〜5倍 | — |
| 化学 | 1.41倍 | 約2〜3倍 | 3〜4倍 |
| 生物学・生物医科学・材料科学・農学 | — | 約2〜3倍 | 3〜4倍 |
| 人類学 | 1.36倍 | 約2倍以下 | — |
| 芸術 | 1.35倍 | 約2倍以下 | 約15〜16倍 |
数値は発表本文の記述による[1]。空欄は本文に数値が書かれていない組み合わせで、 本紙は図から目測して埋めることをしない。
分野差を作っている第1の要因が物理の工程である。農学・生物医科学・化学・材料科学では 研究者の時間の38〜41%が物理の手順に向かうのに対し、中位の分野では4%にすぎない[1]。 物理の割合だけで、AIが担える時間の割合のばらつきの約3分の1が説明される[1]。 第2の要因は認知的作業の中での能力スコアの分布で、芸術(物理10%)や歴史学(同4%)は 物理の工程が少ないのに能力スコアが低く、質的・解釈的な作業が強化学習に乗りにくいためとみられるという[1]。
シナリオ2では自動化される手順が計算機科学では非物理の研究者時間の82%を占めるが、芸術では28%にとどまる[1]。 シナリオ3で能力スコアの差が消えると人文芸術は追い上げるが、実験台を持つ分野は追い上げない[1]。 残るのは物理である。発表本文の言葉を使えば「自動化されたラボがなければ、 研究者時間の約40%を占める物理の手順がボトルネックとして残る」[1]。
4. 専用の道具にすると、着想の割合だけが戻る#
報告はもう1つ、本紙に効く比較を載せている。研究用の専用インターフェースClaude Scienceと、 汎用のClaude/Claude Codeの比較である。Claude Scienceは分断された研究用ツールとデータベースをつなぐもので、 利用は生命科学に集中し、生物医科学と生物学で全セッションの50%超を占める[1]。
生物学・生物医科学に絞ると、タンパク質間・タンパク質とリガンドの相互作用の機構モデルを提案するタスクは Claude Scienceに現れる確率がClaudeの5.6倍である[1]。 そして着想・仮説生成がClaude Scienceのセッションの8%を占め、研究者の時間に占める割合とほぼ同水準になる[1]。 汎用のClaudeでは4.2%、Claude Codeでは2.1%だった工程である[1]。 道具を研究の形に合わせると、最も重要だと答えられていた工程の利用が戻る。
| 生物学・生物医科学での利用の性質 | Claude | Claude Code | Claude Science |
|---|---|---|---|
| 高い自律性で行われたセッションの割合 | 23.7% | 64.1% | 70%超 |
| 博士課程相当(教育20年)を要すると推定された内容 | 約50〜70%(2製品をまとめた範囲) | 同左 | 80%超 |
| AIなしで同じ作業に要する人間の時間 | Claude Scienceの約半分 | 同左 | Claude/Claude Codeの約2倍 |
数値は発表本文の記述による[1]。ただし発表本文は、この差が使う人の違いを部分的に反映している可能性があると断っている。 Claude Scienceは有料ユーザーなら誰でも使えるが、導入するのは特殊で要求の高い用途を持つ層だと考えられるため、 製品間の差は「利用のパターン」として記述すると書いている[1]。
5. フィジカルAIから見た意味 —— 上限を外す鍵に、まだ数字が足りない#
フィジカルAIの側から読むと、この報告は需要側の見積書である。 非物理の自動化が進むほど、物理の工程が研究の費用と時間を支配する。 発表本文が導いた教訓の第1はそのまま「物理のボトルネックは依然として強力である」であり、 AIが物理的な統合なしには行えない手順が研究者の時間と予算を占め、加速に上限を与えるとしている[1]。 言い換えれば、実験台のある分野で3〜4倍から先に進むための部品は、より賢いモデルではなく、 装置を動かす手である。
だが本紙はここで倍率を足し算しない。手の側の数字は、まだこの試算が前提にする「自動化されたラボ」に届いていない。 本紙がロボット曝露指標の回で読んだとおり、 同じAnthropicの経済班の別の報告では、ロボットが米国の物理タスクの74%をこなせる一方で 人より安いのは全職務時間の0.3%であり、能力が止めている物理タスクの半分がマニピュレーションだった。Anthropic自身の生命科学ラボの回でも、 エージェントが新しい酵素系に辿り着いた一方で、実験台の作業は全部人がやっている。 直近の現場でも、パナソニックホールディングスらが共同開発したロボット操作AIは12タスクで平均成功率65%である。 研究の工程を任せるには、桁が1つ足りない。
だから本紙の読み筋はこうなる。この報告は、ラボ自動化とロボット基盤モデルに対する需要の大きさを AI企業の側から数値で示した資料として使える。一方で、3〜4倍と15〜16倍の差を埋める時期の見通しには使えない。 埋めるのはVLAや世界モデルの成功率であって、 この報告はその成功率を一切測っていない。
6. 発表者自身が書いた不都合な事実#
この報告の価値は、限界が自分で列挙されている点にある。本紙が重いと判断した順に挙げる。
(1) 物理世界の実行だけ、予測が過小評価になっていない
発表本文は、AIの進歩はこれまで予測で大幅に過小評価されてきたとし、 2022年中頃の調査で国際数学オリンピック金メダル級の達成時期の中央値が 専門家2030年・スーパーフォーキャスター2035年と予測されたが、実際には2025年に達成され、 予測より5〜10年早かった例を挙げる[1]。そのうえでこう続く。予測者が進歩を系統的に過小評価してきたことには少数の例外があり、 それは主に物理世界での実行を要する領域、たとえば生物学におけるAI支援の実験作業である[1]。 AI全般では楽観が当たってきたが、身体を要する領域では楽観が当たらなかった、と発表者が書いている。 本紙の持ち場に限っては、この報告の加速シナリオを割り引いて読むべき根拠が本文の中にある。
(2) 試算が数えていない費用がある
発表本文は、研究チーム単位より上の制約(大型ハドロン衝突型加速器のような施設で走らせられる実験数の上限)を考慮しておらず、 研究者とAIの時間の費用しか数えていないため、健康科学・物理科学・生命科学で大きくなりうる 装置や実験材料の費用を含めていないと書いている[1]。 物理実験を置き換えうるシミュレーションも考慮していない[1]。 実機のシミュレーションがボトルネックを緩めるという、本紙の読者に最も馴染んだ経路が、この試算では空欄である。 加えてアイデアの質も考慮しておらず、研究の目の付け所が人間に固有のものであり続ければ加速は遅くなるとしている[1]。
(3) 調査の528人は、普通の科学者ではない
シナリオ1のAI負担割合は、研究者528人への調査の自己申告から組み立てられている[1]。 その回答者はAnthropicのAI for Scienceおよび関連の助成プログラムの応募者から集められており、 研究用クレジットを申請した層であるため、典型的な科学者より利用が濃いとみられると脚注が断っている[1]。 発表本文も、回答者が熱心な導入層である可能性が高いことを踏まえ、 その申告を今日のAIができることの代理指標として扱うと書いている[1]。 現能力の普及シナリオは、先端利用者の現在を全員の未来に置いた図である。
(4) 分類器も物差しも言語モデルである
科学的利用かどうかの判定、分野・サブ分野・タスクの割り当て、能力スコアの対比較、 研究者が各区分に費やす時間の推定、生成物の分類——いずれも言語モデルの分類器が行っている[1]。 時間の推定は実験室の作業記録と論文中の出現頻度で検証したとされるが[1]、 表に並ぶ「研究者の時間に占める割合」が実測の集計ではないことは押さえておく必要がある。
(5) 研究者の期待は、工程によってはっきり分かれている
調査では、2030年までにAIが単独で分野最高の研究者に並ぶと答えた割合が データ分析94%、執筆89%、着想とデータ収集はそれぞれ72%だった[1]。 データ分析については38%が既に到達していると答えている[1]。 一方で、人を介さず問いから発見までを完遂することについては2030年までが約40%、2035年までが約64%で、 16%は決して起きないと答えた[1]。 分野が重要と認める発見を自律的に生むことについては、約半数が2035年以降かそもそも起きないと見ている[1]。 発表本文はこの期待の実現が、ソフトウェアとしてのAIの進歩だけでなく物理の障壁を越える自動化ラボを作る取り組みにも依存すると結んでいる[1]。
7. まとめ#
この報告で最も硬いのは、使用量が能力スコアに沿って動くという観測である。 強化学習が回る工程(相関0.78)から順に使われ、物理の工程(相関−0.57)は使われない[1]。 最も柔らかいのは加速の倍率で、言語モデルの分類器、偏りのある528人の調査、 2つの単価の仮定の上に積まれている。
それでも本紙がこの報告を取る理由は1つである。 AI企業自身が、科学の加速の上限を物理の工程に置き、その上限を外す装置を「自動化されたラボ」と名指した。 数値としては、非物理を全部自動化しても実験台のある分野は3〜4倍、物理の工程は研究者時間の約40%[1]。 この40%の中身がマニピュレーションと装置操作である限り、 科学の速度の話はいずれロボットの成功率の話に帰着する。帰着先の数字は、まだ誰も揃えていない。
出典
- 1.AI for scientific discovery: How researchers use Claude(本文・図の説明・脚注・参考文献を含む) — Anthropic(Economics)、2026-11-05一次情報
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